平成22年業績 学位

統合失調症患者の認知機能障害に関する研究
-言語記憶障害に対する非薬物療法的治療アプローチに関する検討及び,biological motion知覚における神経基盤の障害に関する検討-

橋本 直樹

統合失調症は,幻覚妄想,感情の鈍麻,社会的引きこもり,認知機能の障害を主要な症状とし,職業,学業,対人関係,セルフケア,など多くの領域に障害を引き起こす精神疾患である。統合失調症は全精神疾患の入院患者の約62%を占める他,家族や,コミュニティの人的,金銭的な負担が大きいなど,社会的な機能の障害が強いことが知られているが,その原因として近年,認知機能の障害が重要視されてきている。

統合失調症の認知機能の障害には,言語,記憶,処理速度,注意などの脳機能を指す神経認知機能の障害と,他者の意図や意向を理解する能力を含む,社会的相互作用の基盤となる心的活動を指す社会認知機能の障害の双方が知られている。神経認知機能,社会認知機能ともに,その障害される領域,障害の程度,障害と機能的な予後の関わりなどが先行研究によって示されており,統合失調症患者の社会的な機能の改善のためには,双方を含めた包括的なアプローチが重要であると考えられる。そこで我々は統合失調症の神経認知機能障害に関しては,言語記憶能力を改善するための非薬物療法的なアプローチの可能性を探ること,社会認知機能障害に関しては,biological motion知覚の障害の神経学的基盤に着目し,統合失調症の生物学的な理解を進めることを目的に臨床研究を行った。

まず,統合失調症患者における日本語版言語学習検査での明示的教示の効果についての研究についてであるが,言語記憶は神経認知機能の一つで,統合失調症患者においてはかなり頑健に障害が観察されることが知られている他,複数の機能的な予後と相関していることが確認され,その改善は非常に重要な課題である。先行研究から,意味的な関連を利用する戦略を明示的に伝え,そのトレーニングをすることで言語記憶課題の成績が向上することが示されているが,このような形の改善がどの程度持続するかについての報告はまだ無い。我々は上記の状況を踏まえ,戦略の明示的な教示と,そのトレーニングが患者の言語記憶能力を改善し得るか,また改善がみられた場合,その改善は1ヶ月後も維持されているかを検証すべく研究を行った。

対象は北海道大学病院精神科神経科(以下当科)に通院または入院の加療中で,15歳から50歳までの統合失調症患者である。20名(男性6名,女性14名)の被験者は,明示的教示(explicit introduction: EI)群と,通常教示(normal introduction: NI)群のいずれかに無作為に割り付けられた。被験者背景に,EI群,NI群の間で有意差を認めた項目は無かった。言語記憶検査には,The Japanese Verbal Learning Test (JVLT)(1カテゴリーに4語ずつ,4つの意味的カテゴリーを形成する16語の単語リスト)を用いた。リストは3つあり,最初の2つは検査初日に10分間のインターバルを置いて行い(ベースラインと,教示後),最後の1つは約30日後に行う(フォローアップ)。EI群の被験者には,2つ目のリストでの試行に先立って,戦略の明示的な教示とトレーニングを行うが,NI群では,このような教示やトレーニングは一度も与えられない。 

結果であるがベースラインから教示後の変化の検討では,総再生数(RW)と意味的な手がかりの使用の指標であるSCRrの双方にグループと試行回の有意な交互作用を認め,EI群で,RW,SCRrの増加が有意に大きいことが確認された。またRWの変化とSCRrの変化に有意な正の相関を認め,意味を利用するストラテジーが再生数を増加させたことが確認された。一方で,RW,SCRrとも,教示後からフォローアップの間に回数の有意な主効果を認め,SCRrでは,有意に近い群と回数の交互作用(EI群でNI群よりSCRrの低下が強い)を認めた。このことから,教示とトレーニングの効果は1か月持続しなかったと考えられるれた。我々の明示的な教示は学習した戦略の記憶が必要であり,このことが効果が持続しなかった原因と考えられ,途中でブースターセッションを設けるなど,更なる工夫が必要と考えられた。

次に統合失調症患者におけるbiological motion(BM)知覚の際の上側頭葉と社会脳ネットワークの賦活の異常についてのfunctional MRI研究についてであるが,社会知覚は社会認知の一種であり,社会認知機能の中でもとくに社会機能との相関が高い機能として知られている。BM知覚は知覚現象の一種であり,ヒトは生命あるものの動きを,関節に取り付けられた十数個の光点の動きからでも,即座に知覚することができる。BM知覚は上側頭溝[superior temporal sulcus (STS)],上側頭回[superior temporal gyrus (STG)],紡錘状回などの社会脳ネットワークに担われていることが示されており,社会知覚の一種であると考えられている。統合失調症患者でBM知覚の障害があることが行動研究で示されたが,その基盤となる神経活動の異常を直接に明らかにした研究はまだない。我々は上記の状況を踏まえ,統合失調症患者においては,BM知覚に際してSTS,STG領域の神経活動において健常者と比較して賦活の減弱が生じているとの仮説を立て,functional MRI(fMRI)を用いて検証を試みた。

対象は当科に通院中または入院の加療中の統合失調症患者17名(女性8名,男性9名)と年齢,性別に有意差が生じないように選別された健常者17名(男性13名,女性4名)である(χ二乗検定,p=0.15)。タスクはブロックデザインを用い,BM刺激,BM刺激の光点の数,個々の点の動きは変えず,初期位置を変化させて作成したscrambled motion(SM)刺激,BM刺激の一コマ目を静止画として提示するstatic(ST)刺激の3条件を比較した。

結果であるが,BM画像からST画像を差分した際(BM‐ST条件),及びSM画像からST画像を差分した際(SM‐ST条件)の双方で健常者,統合失調症患者双方で,両側の後頭葉,側頭葉に頑健な賦活を認めthe motion-sensitive middle temporal cortex(hMT+)の活動を反映していると考えられた。一方で,BM画像からSM画像を差分した際には(BM‐SM条件),健常者においては,左下頭頂小葉,左上前頭回,左中側頭回,左楔前部,右STG,右島の賦活を認めたが,統合失調症患者群では,左中心傍小葉に賦活を認めたのみで,STS,STG領域には賦活を認めなかった。健常者においてみられた両側のSTS,STG領域(右STGおよび,左の中側頭回)の賦活は,先行文献と一致する結果であり,BM知覚の際の脳活動を反映していると考えられた。また下頭頂小葉,左上前頭回はそれぞれ,ミラーニューロンシステムに関わる領域,メンタライゼーションに関わる領域の賦活を反映したものと推察された。一方で統合失調症患者においてBM‐SM条件でSTS,STG領域の賦活は認めなかった。このことから,統合失調症患者ではBM知覚の際にSTS,STG領域の機能が障害されていると考えられた。

認知機能障害が,精神症状と同等あるいはそれ以上に統合失調症患者の社会機能と密接に関連していることはほぼ確立されており,神経認知機能障害と社会認知機能障害の双方についてさらに理解を深め,またこれらを改善する方法を確立することは,今後の統合失調症臨床において必須の課題である。

統合失調症の病態進行過程におけるラモトリギンの影響に関する研究
-精神刺激薬モデルの観点から-

仲唐 安哉

背景と目的:
統合失調症はcommon diseaseであり,その効果的な治療法の開発は急務の課題である。現在,統合失調症のドパミン仮説を基に,統合失調症の治療にはドパミンD2型受容体遮断作用を有する治療薬(抗精神病薬)が使用されているが,抗精神病薬に反応しない統合失調症の治療には難渋している。統合失調症の急性期症状が改善した後には,統合失調症の再燃・再発防止目的で抗精神病薬の長期使用が推奨されている。しかし,抗精神病薬の長期使用によって不可逆的な運動障害が生じることは少なくない。そのためドパミンD2型受容体遮断作用以外の作用を持つ,長期的な副作用が少ない統合失調症治療薬が求められている。 メタンフェタミン(METH)などの精神刺激薬を用いた動物モデル(覚醒剤モデル)は統合失調症の病態の一部を反映しており,治療薬のスクリーニングに広く用いられている。しかし,統合失調症の症状および経過は一律ではなく,症状や病期に応じた治療法の使い分けが必要と考えられる。我々のグループは,①発病当初はドパミンD2型受容体遮断薬に反応するが再燃・再発を繰り返すうちにドパミンD2型受容体遮断薬に反応を示さなくなり,②認知機能障害が進行していき,③脳萎縮が進行する,という統合失調症の病態進行に着目した。我々のグループが開発した病態進行動物モデルではこの統合失調症の病態進行に類似した行動[METHとN-methyl-D-aspartic acid(NMDA)受容体遮断薬であるdizocilpine (MK-801)に対する行動感作形成,prepulse inhibition(PPI)障害の形成]および神経組織学的変化[terminal deoxynucleotidyl transferase-mediated dUTP nick-end labeling(TUNEL)染色陽性細胞の惹起]が認められる。そのため,この病態進行動物モデルは統合失調症治療薬の新たなスクリニーングツールとして有用であると考えている。また,これまでの脳内微小透析実験の結果から,統合失調症の病態進行への細胞外グルタミン酸濃度増加の関与が推測される。 本研究は,この病態進行動物モデルを用いて,グルタミン酸放出抑制作用を有する抗てんかん薬であるラモトリギン(LTG)が統合失調症の病態進行の基盤にあると推定される行動学的(NMDA受容体遮断薬に対する行動感作形成とPPI障害の形成)および神経組織学的変化(TUNEL染色陽性細胞の惹起)に及ぼす影響を調べることを目的として行った。
材料と方法:
実験動物としてSprague-Dawley系雄性ラットを用いた。薬剤としてMETH,LTGとMK-801を用いた。移所運動量測定には受動型赤外線センサーで水平方向の運動量を測定するSUPERMEXを使用し,PPI測定には音刺激による驚愕反応を測定するSR-LAB systemを用いた。脳内微小透析法で回収した人工脳脊髄液は液体クロマトグラフィーを用いて解析し,グルタミン酸濃度を測定した。 一連の実験で使用するLTGの用量を決定する目的で,METH 2.5 mg/kg投与2時間後にLTG 10 mg/kgおよび30 mg/kgをラットに投与し移所運動量を測定した。次に,METHの反復投与に対するLTGの反復併用投与の影響を検討する目的で,METH 2.5 mg/kgとLTGの反復併用投与の後,十分な離脱期間を置いた時点での,METH 0.2 mg/kgまたはMK-801 0.15 mg/kg投与後の移所運動量変化,PPIおよび内側前頭前野(mPFC)におけるTUNEL陽性細胞数を測定した。また,METH 2.5 mg/kg急性投与後遅発性に生じる細胞外グルタミン酸濃度の上昇に対するLTGの影響も検討した。
結果:
METH 2.5 mg/kg投与2時間後のLTG 30 mg/kgおよび10 mg/kg投与は移所運動量に影響を与えなかったため,一連の実験においてLTG 30 mg/kgを使用した。移所運動量測定では,METH 2.5 mg/kgの反復投与によってMETHおよびMK-801への感受性亢進が形成された。LTG 30 mg/kgの反復併用投与はMETH 2.5 mg/kgによるMK-801への感受性亢進形成を阻止した。驚愕反応測定では,METH 2.5 mg/kgの反復投与によってPPI障害が形成された。LTG 30 mg/kgの反復併用投与はMETH 2.5 mg/kgの反復投与によるPPI障害の形成を阻止し,LTG 30 mg/kgの単回投与はMETH 2.5 mg/kgの反復投与により形成されたPPI障害の発現を抑制した。TUNEL染色法を用いた検討では,METH 2.5 mg/kgの反復投与はmPFCでのTUNEL染色陽性細胞数を増加させたが,LTG 30 mg/kgの反復併用投与はその増加を阻止した。また,脳内微小透析法を用いた細胞外グルタミン酸濃度の測定では,METH 2.5 mg/kgはmPFCにおいて遅発性の細胞外グルタミン酸濃度上昇を惹起したが,METH 2.5 mg/kg投与120分後のLTG 30 mg/kg投与により,その遅発性の細胞外グルタミン酸濃度上昇は抑制された。
考察:
内側前頭前野において細胞外グルタミン酸濃度を増加させうる量であるMETH 2.5 mg/kgの反復投与で惹起されるMK-801に対する行動感作形成,PPI障害形成ならびにmPFCでのTUNEL陽性細胞数増加の3現象をLTGの反復併用投与が阻止したことより,LTGは統合失調症の病態進行の基盤を阻止する有用な薬剤であることが示唆された。METHによる細胞外グルタミン酸濃度上昇をLTGが抑制したことより,LTGはこの抑制機序を介して,METH反復投与で惹起される行動変化ならびに神経組織的変化を阻害した可能性がある。しかし,LTGにはグルタミン酸放出抑制作用以外にもgamma-aminobutyric acid放出促進作用を有することなども報告されているため,本実験におけるLTGの作用機序についても更なる検討が必要である。
結論:
LTGとMETHの反復併用投与は,METH反復投与による行動異常ならびに神経組織学的異常の形成を阻止した。本研究の結果より,LTGは統合失調症の病態進行の阻止に対して有用な治療薬になりうると考えられた。

抗うつ薬,ノルアドレナリン,セロトニンが成体海馬歯状回由来神経前駆細胞に及ぼす影響についての研究

増田 孝裕

近年,成体の脳においても海馬歯状回では神経幹・前駆細胞が存在し,それらが増殖,分化することにより神経細胞が新生されることが明らかにされている。抗うつ薬を動物に慢性投与すると海馬の神経幹・前駆細胞の増殖が促進されることなどから,抗うつ薬の治療メカニズムの新しい仮説として海馬神経新生促進仮説が提唱され注目を集めているが,その詳細については明らかになっていない。本研究では,抗うつ薬による海馬神経新生増加作用メカニズムを明らかにするために,抗うつ薬,NA,5-HTが成体海馬歯状回の神経前駆細胞に及ぼす影響について検討した。まず成体ラット海馬歯状回由来の神経前駆細胞 (Adult rat Dentate gyrus-derived neural Precursor cell, ADP) の培養系を確立した。ADPは,神経幹・前駆細胞のマーカーであるNestin,SOX2陽性であり,immature neuron マーカーであるDCX陰性であった。ADPを分化誘導因子であるレチノイン酸存在下で培養すると,ニューロンのマーカーであるTuj1陽性細胞,アストロサイトのマーカーであるGFAP陽性細胞,少数ではあるがオリゴデンドロサイトのマーカーであるO4陽性細胞が検出されたことから,ADPは分化能を有することが確認された。また,ADPは増殖能を有していたが,その増殖能は無限ではなかった。海馬の神経幹・前駆細胞は4つのタイプに分類されるが,これらの特徴からADPはtype 2a early progenitor cellに相当すると考えられた。4種の抗うつ薬(フルオキセチン,イミプラミン,レボキセチン,トラニルシプロミン)及び5-HTはADPの増殖,レチノイン酸誘発ニューロン分化,スタウロスポリン誘発アポトーシスのいずれに対しても影響を及ぼさなかった。一方,NAはADPのニューロン分化,アポトーシスには影響を及ぼさなかったが,ADP増殖を有意に促進した。さらに,このNAのADP増殖促進作用はβ2-AR刺激を介していることが明らかになった。従って,一部の抗うつ薬は,脳内NA濃度を増加させ,海馬歯状回のearly progenitor cells上のβ2-ARを刺激してearly progenitor cellsを増殖促進させることによって海馬神経新生を促進させている可能性が示唆された。

障害の双方についてさらに理解を深め,またこれらを改善する方法を確立することは,今後の統合失調症臨床において必須の課題である。