平成24年業績 学位

自殺とうつ病に関連する気質
-性格特性および精神医学的特徴に関する研究-

三井 信幸

自殺関連事象は青年期から発生・増加することが知られており、また自殺は多要因により発生する。自殺の要因は、心理社会的ストレス等の近位的要因と遺伝負因や人格特性等の遠位的要因に分類される。本研究では、近位的要因についてはうつ病患者の精神病理学的特徴、認知機能障害およびQOL等と自殺念慮との関連を調査し、遠位的要因に関しては人格特性を中心に研究することとした。

第一章において、大うつ病性障害に伴う自殺念慮に関連する要因を調査した。青年期のうつ病患者を対象に、自殺念慮とうつ病の重症度、自尊感情、認知機能およびQOL等について幅広く調査し、探索的検討を行った。その結果、自尊感情が自殺念慮を伴ううつ病患者において有意に低下していた。第二章では大規模な集団を対象にうつ病エピソードおよび自殺念慮と気質-性格特性の関連を調査・分析した。調査にはTemperament and Character Inventory (TCI)とPatient health questionnaire (PHQ-9) を用いた。TCIは人格特性を気質と性格に分けて評価する評価尺度であり、気質は新規性追求(NS)、損害回避(HA)、報酬依存(RD)、固執(P)の4次元、性格は自己志向(SD)、協調(C)、自己超越(ST)の3次元で評価される。PHQ?9により大うつ病エピソードおよびその他のうつ病エピソードに分類された群は、HAが有意に高く、SDが有意に低い傾向が認められた。また、SDおよびCが高い組み合わせになるに従い、うつ病エピソードの発生率は低下する傾向が認められ、自殺念慮の発生率についても、SDおよびCが高い組み合わせになるに従い、低下する傾向が認められた。第三章では、自殺既遂者のTCIに関する検討を行った。対象は大学入学時にTCIを実施した学生のうち、自殺既遂に至った20例とした。年齢・性別・所属学部・入学年次が一致した60例を対照群として、TCI得点を統計学的に比較したところ、HAが有意に高値であった。サブカテゴリの解析では、HA1(予期不安)、HA2(不確実性への恐れ)が有意に高値、ST3(霊的経験の受容)が有意に低値であった。多変量解析によりHA1が有意に高値であり、自殺既遂者の気質としてはHA高値が確認された。

第一章と第二章の結果から、うつ病に伴う自殺念慮に関連する特徴は自尊感情や自己志向などの自己の認識に関する側面であった。さらに他者との関係の機能不全が重畳することにより、自殺念慮が発生すると考えられた。第三章において自殺既遂者のHAが高いことが実証され、性格特性としてSDやCの低下がみられず、ST3の低下が認められた。これはうつ病やパーソナリティー障害において一般的に認められる特徴とは異なり、自殺既遂者に特異的な性格傾向を示唆している可能性がある。

大うつ病性障害の心理社会機能に認知機能障害が与える影響
および認知機能リハビリテーションの効果に関する研究

清水 祐輔

【背景と目的】
大うつ病性障害(major depressive disorder: MDD)は心理社会機能に重篤な障害を与えると言われており、その原因の一つとして認知機能障害の可能性が指摘されている。しかし、寛解期の両者の関係については報告が少なく、さらに認知機能障害に対する治療法も十分に確立されているとは言い難い。そのため、本研究では寛解期の認知機能と心理社会機能の指標の1つである生活の質(quality of life :QOL)との関係を調査し、さらに認知機能障害の治療法である認知矯正療法(Cognitive Remediation Therapy: CRT)の認知機能及び心理社会的機能に対する効果について検討を行った。

第1章 MDDの認知機能とQOL

【方法】
Hamilton Rating Scale for Depression(HAM-D)が7以下の寛解期にあるMDD患者43名と健常者43名を対象とした。両群に神経心理学的検査、Beck Depression Inventory ? Second Edition (BDI-II)を施行した。さらにMDD患者ではQOLの指標として日本語版short-form 36 item health survey version 2(SF-36)を施行した。分析としては、まずMDD群と健常群のデータを比較し、MDD群において健常群との成績に有意差を認めた神経心理検査、人口統計的及び臨床的因子、SF-36の各項目の間で相関分析を行った。さらに、神経心理検査と有意な相関を示したSF-36の項目を従属変数として、重回帰分析を行った。
【結果】
寛解期のMDDでは精神運動速度、注意、言語記憶の認知領域で有意に成績が低下していた。重回帰分析の結果、言語記憶はエピソード回数や残遺抑うつ症状の影響を考慮しても、SF-36の全体的健康感に関連していた。
【考察】
言語記憶とQOLの間には臨床因子とは独立した関連性が存在する可能性があり、日常臨床において客観的な検査で認知機能を評価し、QOLの低下に関与しているかもしれない認知機能の障害を検出することは有用であると考えられた。

第2章 MDDにおける認知機能リハビリテーションの効果

【方法】
MDD患者10名を対象(CRT群)とした。対照群としてCRT群と、年齢、教育年数がマッチする10名のMDD患者を抽出した(作業療法群)。CRT群、作業療法群ともに3カ月間作業療法を受けた。CRT群では作業療法の一部としてCRTが行われた。被検者は治療前後で、神経心理学的検査、HAM-D・BDI-IIによる抑うつ症状の評価、The Global Assessment of Functioning(GAF)・SF-36による心理社会機能の評価を受けた。
【結果】
CRT群では作業療法群に比して、精神運動速度、言語記憶の認知領域で有意な改善を認めた。心理社会機能は、CRT群において他覚的な指標であるGAFが作業療法群に比して有意な改善を認めたが、自覚的な指標であるSF-36は改善が認められなかった。
【考察】
CRTによる認知機能の改善は先行研究と一致した。GAFが有意に改善した点からは、本研究はMDDにおいてCRTが心理社会機能の改善に寄与する可能性を示した最初の研究と言えるが、SF-36に改善がみられなかった点については残遺抑うつ症状が交絡因子となった可能性が考えられた。

ドパミンが成体海馬の神経細胞新生に及ぼす影響に関する検討

高村 直樹

近年の研究によって、成体においても海馬歯状回の下顆粒細胞層 (subgranular zone, SGZ)には、神経幹・前駆細胞が存在し、神経細胞新生が起こっていることが明らかになっている。また、抗うつ薬の慢性投与によって神経幹・前駆細胞の増殖や生存が促進されることが報告されていることから、抗うつ薬の作用メカニズムとして海馬神経細胞新生が注目されている。しかしながら、抗うつ薬がどのように神経細胞新生を制御し、抗うつ効果を発現しているかについては、十分に解明されていない。また、ドパミン (DA) は、気分障害の治療において重要なターゲットとして考えられている。気分障害患者では、一部の所見からドパミン量が低下していることが報告されている。また、D2-like 受容体アゴニストであるプラミペキソールやブロモクリプチンは、難治性うつ病に対して有効であることが報告されている。現在までにドパミンの SGZ における神経細胞新生に対する影響を検討した研究はあまり多くないが、SGZ は DA 神経系の投射を受け、DA 神経系破壊モデルやパーキンソン病患者の死後脳研究において歯状回の細胞増殖が低下していることから、DA が海馬歯状回の神経細胞新生に重要な役割を果たしていることが示唆されている。

当研究室では、成体ラットの海馬歯状回由来神経前駆細胞 (adult dentate gyrus-derived neural precursor cells; ADP) の培養系を確立し、抗うつ薬などの神経細胞新生への影響を研究してきた。

本研究では、DA が海馬歯状回の神経細胞新生に与える影響について検討を行った。DA は、ADP の増殖促進作用をおよび神経細胞への分化を促進した。さらに、この DA の増殖促進作用は、D1-like 受容体刺激を介していることが明らかとなった。これらの in vitroの結果を受け、in vivo におけるDA アゴニストの海馬神経細胞新生に対する作用について検討した。その結果、D1-like 受容体アゴニストは、増殖には影響を与えなかったが、新生細胞の生存を促進した。一方、D2-like 受容体アゴニストは、増殖・生存ともに影響与えなかった。これらのことから、DA は D1-like 受容体を介して、海馬神経細胞新生を制御していることが示唆された。

現在のところ、D1-like 受容体を介した海馬神経細胞新生制御機構について、詳細なメカニズムは明らかにできていない。今後、下流のシグナルなどを明らかにすることで、抗うつ薬の作用メカニズムの解明や新規抗うつ薬の創製につながる可能性がある。

統合失調症者と健常者における
作業記憶課題遂行時の記銘処理についての比較検討

(修士課程)宮崎 茜

作業記憶は、数秒間情報を保持し心的処理を進める記憶システムであり、思考やこころの働きなど様々な高次機能の基礎となる認知領域である。統合失調症における作業記憶障害は社会生活機能に強く影響を与え、治療やリハビリテーションの観点から詳細な評価が求められる。これまでの統合失調症患者を対象とした神経生理学的指標を用いた研究からは、作業記憶課題遂行時の「記銘」「保持」「想起」のそれぞれの処理過程についての異常が報告されてきた。

本研究では、統合失調症における作業記憶障害に強く影響する神経活動指標を探索するために、健常者と統合失調症患者を対象に、Sternberg課題遂行時の脳波を記録し、作業記憶過程を反映する事象関連電位および事象関連同期の特徴的な成分について条件および群間の比較を行った。記銘刺激に対する事象関連電位成分を統合失調症患者群と健常者群で比較した結果、記銘刺激呈示後110 ms後に前頭部で見られるN1成分の振幅について有意な群間差が認められた。記銘刺激に対する知覚処理や注意定位配分過程を反映するN1成分について統合失調症者患者群では健常者群と異なる反応が認められたことから、神経心理学検査で評価される機能よりも低次の認知処理の異常が示唆されたと言える。また、記銘に後続する処理過程についての神経異常に影響を与えた可能性が示唆された。これらのことから、作業記憶障害への治療的介入として、記銘に対するより深い水準での知覚処理や注意定位を促すアプローチの開発が望まれることが示唆された。

健常者と統合失調症における
外発的・内発的rule shiftingの神経活動の相違について

(修士課程)宮島 真貴

序論:
近年、統合失調症における幻覚・妄想などの精神症状以外に、認知機能の低下が社会生活機能の低下に大きく影響を及ぼすことが知られてきた。その中でも遂行機能の障害は、患者の全般的な社会生活機能を大きく阻害する。特に遂行機能のうちルール切り替え処理を評価するスイッチング課題において、統合失調症患者の切り替え処理の低下が報告されている。しかし自発的なルール切り替え処理は検討されておらず、我々は統合失調症で見られる自発的な意思や行動の生成の困難について、内発的なルール切り替え処理との関係を検討することにした。
方法:
本研究では健常者16名と統合失調症患者10名と対象とし、Cued Task switchingを基に、外発的にルールを切り替える外発課題と、自発的にルールを切り替える内発課題を作成し、その2課題を行ってもらった。そして、行動成績と課題遂行時の事象関連電位、事象関連同期を指標とした神経活動を検討した。
結果:
行動成績では、健常者群と患者群ともにルールを切り替える時の方が、切り替えない時よりも反応時間が延長していることがわかった。外発課題の事象関連電位では、健常者群と患者群ともに、切り替え時の方が切り替えない維持時よりも後期陽性成分が増大した。内発課題の事象関連電位では、外発課題の結果と様相が反転し、健常者群で切り替えない維持時の後期陽性成分が増大していたが、患者群ではそれが見られなかった。
考察:
外発課題では刺激に誘発されてルール切り替え処理(新しいルール表象の読み込み、作業記憶の更新)が駆動したが、内発課題では実際の切り替え時よりも前の段階から、切り替えの到来を予期した構えの生成が行われていると考えられた。両群の比較では、外発課題の様な外的に切り替えを指示される場合は、患者群でも健常者群と同様のルール切り替え処理が出来ていた。しかし2試行毎で自らルールを切り替えてもらう内発課題では、患者群において、健常者群のような前持った切り替えの到来を予期した、構えの生成処理に困難を来していることがわかった。

成人における抑うつ・不安傾向と
幼少期ストレス、ライフイベント、気質の関連

(修士課程)中井 幸衛

序論:
うつ病の危険因子として、遺伝、性差、幼少期の体験、気質、ライフイベント(特にネガティブなイベント)などがこれまで報告されてきた。ライフイベントについては、最近ではイベントの認識の仕方のほうがイベント自体よりも重要であると指摘されている。
目的:
本研究では、これまでの研究から、「幼少期のストレス-気質-ライフイベント(最近のストレス)」が相互作用して現在の「抑うつ・不安」に影響を与えるという仮説を立てて、共分散構造分析によりその相互作用を検証した。
方法:
一般募集し同意が得られた成人302名を対象として自記式質問紙で調査を実施した。有効回答数は294名であった。使用した質問紙は、①Patient Health Questionnaire-9 :うつ病尺度、②Life Experiences Survey :過去1年間のライフイベントに対する評価、③State-Trait Anxiety Inventory :不安尺度、④Temperament Evaluation of the Memphis, Pisa, Paris, and San Diego Autoquestionnaire :気質尺度、⑤Child Abuse and Trauma Scale:幼少期の虐待的養育環境を測定する尺度の5つの質問紙調査を実施した。解析方法は、SPSSおよびAmos 20を使用し、共分散構造分析最尤推定法でモデルの解析を行った。
結果:
一般成人294名の共分散構造分析により、幼少期のストレス、特にネグレクトが不安・抑うつ・循環・焦燥の気質を増強し、さらに気質は最近1年間のネガティブな影響を与えるライフイベントの評価を増加させることが明らかになった。さらに、幼少期ストレスは気質を介して間接的に、気質とネガティブなライフイベントは直接的に抑うつ気分を増強していた。不安症状についても同様のモデルがあてはまったが、ネガティブなライフイベントの不安症状に及ぼす直接的な影響は有意ではなかった。
考察:
本研究では、一般成人における幼少期ストレス、気質、ネガティブなライフイベントの抑うつ、不安への影響を共分散構造分析により明らかにした。その結果、幼少期ストレスは気質を介して間接的に、気質は直接的に抑うつ、不安の症状出現に影響していた。幼少期ストレスと気質、ライフイベントの相互作用を検討した研究はこれまでなく、本研究は抑うつ、不安の感情発生解明に寄与することが期待される。意外なことに過去1年間のネガティブなライフイベントは抑うつ、不安に大きな影響を与えていなかった。一般成人では抑うつ、不安の程度が軽度であったためにライフイベントの影響が小さかった可能性がある。さらに、本研究では健常者を多く含んだ一般成人を対象としており、この結果をうつ病の発症モデルに外挿するのは限界があると思われる。本研究で検討していない要因(健康、女性の生理、TEMPS-A以外の性格など)も抑うつ気分、不安に影響している可能性がある。したがって、幼少期ストレス、気質以外の抑うつ気分、不安に影響する要因を今後探求していく必要がある。