令和2年業績 学位

社交不安症とうつ病の予測因子~大学生の自殺予防のための研究~
(Predictors of social anxiety disorder with major depressive episode
~a study for suicide prevention in university students~)

渡辺 晋也

【背景と目的】

社交不安症(SAD: Social Anxiety Disorder)は若年で発症する疾患であり、大うつ病エピソード(MDE: Major Depressive Episode)との併存頻度が高い。大学生の自殺に影響を及ぼす疾患であると目されているが、我が国における調査報告はない。また複数の横断研究によってパーソナリティがSAD・MDE併存の予測因子であろうと推論されてきたが、パーソナリティ評価尺度の得点が同時に存在する抑うつ症状に影響されるというバイアス(State effect)に対して十分な配慮が行われてこなかった。本研究の目的は、SADは日本人大学生の自殺リスクを高めるか、そしてState effectを考慮してもパーソナリティがSAD・MDE併存の予測因子と言えるか、という二つの臨床疑問を明らかにすることである。

【対象と方法】

北海道大学保健センターの精神衛生相談を初診した日本人大学生を対象として、初診時にMini-International Neuropsychiatric Interview 5.0.0. DSM-IV current-screening questions (M.I.N.I. screen)、Patient Health Questionnaire-9 (PHQ-9)、Liebowitz social anxiety scale (LSAS)に対する回答を求めた。M.I.N.I.screen,とLSASの結果に基づきSADの有無を、PHQ-9アルゴリズム診断に基づいてMDEの有無を判定し、第一章では被検者を“Control”(n=74)、“MDE”(n=35)、“SAD”(n=23)、“SAD+MDE”(n=75)の4群に分け、M.I.N.I.screenをもとに各被検者の自殺念慮の有無を判定し、その頻度をχ2検定とCochran-Armitage傾向検定によって比較検討した。第二章では観察期間を延長し、入学時(ベースライン)に測定されたTemperament and Character Inventory (TCI)とPHQ-9の結果に欠損値を含む被検者を除外し“Control”(n=41)、“SAD”(n=27)、“SAD+MDE”(n=61)の3群を分析対象とした。ベースラインの年齢、性別、PHQ-9得点に加えて、TCIの各ディメンジョン得点を独立変数に用いてロジスティック回帰分析を行い、保健センター初診時の“SAD”あるいは“SAD+MDE”を予測するオッズ比を計算した。

【結果】

第一章では4群間で自殺念慮の出現頻度に有意差がみられた。被検者を“Control”、“MDE or SAD”、“SAD+MDE”の3群に再分配し行った傾向検定では、SADとMDEは単独で自殺念慮の出現頻度を上昇させ、併存によりさらに上昇させる傾向が示された。第二章ではTCIのディメンジョンの一つであるHarm-avoidance(HA)得点が、“SAD”および“SAD+MDE”である場合のオッズ比を有意に上昇させた。またPHQ-9の合計得点は“SAD+MDE”である場合のオッズ比を有意に上昇させた。

【考察と結論】

我が国の大学生においてもSADが自殺に影響を及ぼす疾患であることが示された。またState effectを考慮してもなお、HAはMDEの有無に関わらずSADの予測因子であり、ベースラインの抑うつ症状の重症度もSADとMDEの合併の予測因子であることが示された。

 

自殺リスク評価ツールの開発に向けた基盤研究
(Basic Research for the Development of Suicide Risk Assessment Tools)

髙信 径介

【背景と目的】

自殺は複合的要因により生じる事象であり、高リスク者を同定し、早期介入することで効果的な自殺予防対策を実施できる可能性があるが、妥当性および信頼性が確立された自殺リスク評価ツールの不在という問題が自殺予防の実践を妨げている。そこで本研究では、自殺リスク評価ツール開発に向けた基盤研究として、3つの研究を実施した。

【対象と方法】

第1章では、2012年から2018年の間の当科入院患者904名を対象に診療録を用いた後方視的研究を行い、入院時に自殺リスクアセスメントシートを用いて測定された自殺リスクと、入院後30日以内の自殺関連行動発生の頻度との関連を調べた。第2章では、2011年から2013年にかけて北海道大学に入学した新入生2194人を対象に、入学時と入学3年後の2点でPHQ-9を実施し、両時点での抑うつ症状、自殺関連念慮の関連を解析した。第3章では同対象のうち、入学時点で抑うつ症状が認められた者を除外した1997人を被験者として、入学時のTCIにおける性格構成と、入学3年後の抑うつ症状、自殺関連念慮との関連を解析した。

【結果】

第1章では、入院後30日以内に自殺関連行動のあった患者37名のうち、自殺リスクの分類と自殺企図発生の関連が認められた。第2章では、入学時点での抑うつ症状および自殺念慮と、3年後の同症状の関連を認めた。第3章では、大学入学時の低Self-Directedness(SD)と低Cooperativeness(C)が、入学3年後の抑うつ症状および自殺関連念慮の発症と有意に関連していた。

【考察】

第1章では、入院時の自殺リスクと入院後の自殺関連行動との関連を認めたが、陽性的中率が低く、シートを単なるリスク分類に用いるよりも、包括的な対応の目安として使用することが、自殺事故発生予防において有用性が高いと考えられた。第2章では、PHQ-9により検出される抑うつ症状と自殺関連念慮は、いずれも3年後の同症状の新規発症のリスク因子となるが、有病率が低いために検査後確率が低く、PHQ-9単独での自殺リスク評価目的での使用は難しいと考えられた。第3章では、大学入学時の低SDと低Cの性格特性が、入学後の自殺のリスク因子になることが示唆された。

【結論】

自殺リスクアセスメントシートは、精神科入院患者の自殺リスクに応じた包括的な対応の目安として使用するにあたり有用である。大学入学時に実施するPHQ-9とTCIは自殺リスク評価においてそれぞれ有用であるが、互いを組み合わせた評価方法を確立する必要がある。

 

疾患モデル動物を用いた統合失調症脳内炎症仮説の検証
(Verification of brain-inflammation hypothesis of schizophrenia with animal model)

(修士課程)松本 理沙

近年、統合失調症の病態仮説のうち脳内炎症仮説が注目されている。しかし統合失調症と炎症の関係性を検討した研究では相反する結果も存在し、また用いる炎症の強度の違いから基礎研究では臨床応用性が高い知見が得られにくいという問題がある。そこで本研究では、低強度の炎症反応を疾患モデル動物に付加する事で、実臨床を想定した強度の炎症が統合失調症の発症や症状に与える影響について基礎の観点から検討した。
まず統合失調症の発症時に炎症が存在する事を確認する目的で、メタンフェタミン(METH)を用いて作成した統合失調症モデルマウスの脳及び血液中の炎症関連因子のmRNA及びタンパク発現量を測定した。結果として、いずれの領域、因子でも発現増加は認められなかった。
次に、炎症が陽性症状に与える影響を検討する目的で、行動感作を誘発する前にリポポリサッカライド(LPS)に曝露し、行動感作時の行動量の変化を評価した。結果、LPS前処置群は非処置群と比較して行動量が減少した。また、炎症の誘発刺激をLPSから拘束ストレス(RS)に変更し検討を行った結果、同様の結果が得られた。更にこれらの変化はTLR4阻害剤であるTAK-242を併用処置した群では認められなかった事から、急性の炎症反応はTLR4活性化を介して陽性症状に対する軽減作用を示すことが示唆された。
続いて病態形成に炎症が与える影響を評価した。陽性症状への影響を検討する為に、METHとLPSあるいはRSを併用処置し行動感作を評価した。結果、いずれのモデル群においても変化は認められなかった。一方対照群では、RS併用処置群で行動量の増加が認められた。更にこの変化はTAK-242の反復併用投与によって有意に阻害された事から、炎症誘発因子の違いによって陽性症状様の行動変容に与える影響が異なり、TLR4を介した炎症反応が陽性症状に対し負の作用を及ぼす可能性が示された。次に陰性症状と認知機能障害に着目し検討を行った。結果として、いずれの群においても陰性症状様の行動応答に変化は認められなかった。一方で、RS併用モデル群において一部の認知機能の評価試験のスコアが有意に悪化することが明らかとなった。この障害はTAK-242の併用処置群では認められなかった事から、RSによって誘発された炎症はTLR4経路を介して、認知機能障害の一部を悪化させる可能性が示された。
本研究より、TLR4経路の活性化は統合失調症の発症自体には寄与しないものの、一部の病態形成や症状の強度に影響を及ぼす可能性が示された。加えて、炎症誘発因子の種類や曝露される期間、病期によっても症状に与える影響が異なる可能性が示された。